ブックタイトル鳴門塩田絵巻(サンプルページ)

ページ
16/24

このページは 鳴門塩田絵巻(サンプルページ) の電子ブックに掲載されている16ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

鳴門塩田絵巻(サンプルページ)

64(5頁に大きな原図掲載)入浜塩田絵巻阿波塩秘録塩は空気や水と同様に代用品がなく、人間生活に欠くことができない物質であるので、原始民も何らかの方法で塩を摂取していたのである。同じ一つの物質をつくるため、製塩ほど多種多様な製法のあるものは他に類例がない。なかでも入浜塩田はもっとも巧妙にできた採さい鹹かん方法であった。慶長の初期に藩主蜂はち須す賀か家いえ政まさ公こうが地震によって生じた沿岸の浅瀬に塩田を奨励し、農家には藍畑を奨励し、戦後領民の困窮を救い、またこれによって藩の財政を豊かにした。藍に関する記録は残されているが、塩に関する資料は極めて少ないため、入浜塩田をわかりやすく図解して説明を加え、永く後世に伝えたい意図で編集したものである。塩田発展の理由一、太平洋岸に面したこの地方は、潮の 干満の差がわずかに一m六六㎝である ので、堤防の築造が容易で、塩田の開 拓に多額の資金を要しない。一、鳴門地方は第四紀の新層で、海成沖 積地のため砂地が多く、塩田の地盤に 適している。一、鳴門石(和いずみ泉砂岩)の産地で、石垣の築造が容易である。一、海底には海粘土や上うわ土つち(粗雑な海粘土)があり、海岸には撒さん砂しゃに適した砂粒の銀ぎん砂すなが無尽蔵に存在している。一、塩田地帯付近には大おお毛げ島じまや島田島などの島々が存在し、直接太平洋岸からの高波の被害を受ける心配がない。一、雨量は少ないと言えないが、季節風がよく吹き、よく乾燥する。一、往時は薪量に富み、価格が極めて低廉であった。一、高い山や大きな川もなく、小鳴門海峡の両岸に塩田が拓け、海水の濃度が高かった(大きな川がなく真水の流入がないので、海水の塩分濃度が低くならなかった)。一、塩の生産は日々おこなわれ、農地よりも資本の回転が早く、もっとも有利な土地の利用法であった。以上のような天恵的な自然条件に恵まれ、何一つ県外から物資を運ぶ必要もなく、塩田が築造され