ブックタイトル鳴門塩田絵巻(サンプルページ)

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概要

鳴門塩田絵巻(サンプルページ)

65たので、祖先の人たちが競って塩田の開拓に着手した結果、個人経営単位の小規模な塩田が多いこともこの地方の一つの特徴である。地盤が一尺低かった撫む養や浜(鳴門市域の塩田)入浜塩田は、原則として満潮と干潮の中間くらいの位置(高さ)に築造することがもっとも合理的であるが、このような塩田では地盤が高い位置にあるため水みずぐるま車の使用が少なく、干潮となれば塩田内の雨水は自然落差によって排水が自由にできる。反面、干潮時には塩田内に海水を導入することが不可能であるので、塩田の内部に海水の貯水溜だめを設備して常時保管しなければならない欠点があり、塩田面をフルに活用することができない。降雨後は速やかに浜仕事に着手できるため、年間の持もち浜はま日数(七七頁参照)は一五〇日~一七〇日もできる特点があり、塩の生産も一反当たり一〇八・五一九石という成績であるが、塩田の開拓には巨額の費用が必要であった。撫む養や浜は太平洋岸に通じているので、潮の干満の差が瀬戸内海の沿岸に比べると、半分にも満たない特殊な地帯で、わずかに一m六六㎝である。自然地場という極めて低い地盤の塩田が開拓され、干潮面よりわずかに二〇㎝程度の高さに設けられた塩田である。満潮時には五尺に余る外海からの大きな水圧が塩田に作用し、常時海水が浸透するため、床とこ面めん(塩田の表面)にはこれを防御し調製する必要があり、粗雑な粘土(上うわ土つち)を床とこ面めんに張り固めている。浸しみ出る海水を収容するため、浜溝の大きいことも撫む養や浜の特徴である。溜まった海水は干潮時を待って、一日に一、二回は水みずぐるま車を使用して排水しなければ塩田が水浸しとなるため、外そと壕ぼりのある塩田もあった。このため、浜はま屋やでは奉公人が三人~四人雇入れなければ経営ができなかった。正直に言って、撫む養や浜の入浜塩田は適当ではなかったが、大正十二年(一九二三)、初めて小型の発動機が使用され、排水がおこなわれた。また、二、三年後には、便利な電動機が導入され、バーチカルポンプによって満潮時といえども自由に排水ができるようになり、これまでの水みずぐるま車が廃止され、奉公人の必要もなくなった。その結果、経営が容易になるばかりか、年間の持もち浜はま日数は一五〇日~一七〇日にも達し、生産も一躍二倍にもはね上がり、撫む養や浜の性能を十分に発揮できるようになった。水みずぐるま車時代、一反当たりの塩生産高はわずかに五八・三四石で、香川県坂出浜の半分に過ぎなかった。塩田の地価は、坂出浜二七五・四九一円に対し、撫養浜は一八七・八三三円であった。  一口メモ  「水車」について   入浜塩田時代の水車は、必ず「みずぐるま」と読む。「すいしゃ」と読んでしまうと、意味が   違ってくる。