ブックタイトル鳴門塩田絵巻(サンプルページ)

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概要

鳴門塩田絵巻(サンプルページ)

66(6頁に大きな原図掲載)撫む養や一等地の塩田明治九年(一八七六)の調査によれば、撫む養や塩しお方かた十二か村の塩田三九〇町九反四畝八歩のうち、四八町五反四畝一二歩が汐しおどおし通(浜はま溝みぞ)で、塩田は一等地から一二等地までの等級があった。一等地は、鳴門村高島の五ご位い鷺さぎ地区(高島渡と舟せん場ばの西側)の一四町八反六畝二二歩であるが、この塩田は他浜よりも二〇㎝ほど地盤が高い位置に築造されていた。そのため、降雨後の排水が容易で「ユル」を開放すれば、自然落差によって排水でき、干潮の悪い場合に水みずぐるま車を使用していた。このように塩田の床とこ面めんが他浜より一段高く、排水が早く終わるため、毎年三〇浜程度は他の浜屋よりも多く採さい鹹かんすることができた。一等地の塩田は、塩田の地盤の優劣に関係なく、塩田の位置(高さ)によって生じていた。昭和二、三年ごろに排水が動力化され、排水が満潮時でも可能となり、年間の持もち浜はま日数(七七頁参照)が一五〇日~一七〇日になると、地盤の低い塩田も同じように生産を高めることができた。入浜塩田にとって地盤の位置(干潮面からの高さ)がいかに重大であるかが伺える(昭和二年=一九二七年)。堤 防天恵的な自然条件に恵まれたこの地方は、潮の干満の差が極めて小さいため、堤防の嵩が低く石垣の築造が容易にできた。石垣は図に示すように松枠(長さ約一間)を一間おきに打ち込み地盤を固め、この枠の上部に松丸太を渡して、その上に石垣を築く。この松丸太を「トネ」という。石垣の下部二段ほどは四〇個の石(石一個二五貫。四〇個で一、〇〇〇貫)を使用し、その上部に五〇個の石(石一個二〇貫)を使用して築く。堤防は水漏れを防ぐため、中央に堤防の芯を入れる。赤土の芯を入れる場合は幅二尺程度、海粘土の場合は一尺ほどの厚さに入れ、山土又は捨土にて堤防を築く。大手海岸(小鳴門海峡や内うちの海うみなど)に面した堤防には、頑丈な腰築を築いて強化し、仁にお尾川の入口には、防波堤(ハト)を築き、高波に対処している。堤防の上部は一・五mほどの盛土をおこない、土堤萱を植えて堤防を保護している。(図)五〇個の石・四〇個の石  松枠(筒)・松丸太(トネ)  仁にお尾川の入口 防波堤(ハト)   腰築 内石垣 堤防の芯(海粘土又は赤土) 腰築